【富士山の形成】 現在の美しい姿に形作られるまでの噴火の歴史を解説します。

富士山 歴史 信仰

富士山 形成

富士山は現在も活動を続けているまぎれもない活火山ですが、多くの人は「穏やかで雄大な霊峰富士山」という印象を抱いていると思います。

それもそのはず、前回の噴火は1707年の宝永大噴火まで遡ります。もう300年間も噴火をしていないのです。それ以前は100年に一度は噴火を繰り返しており、少なくとも過去40回以上は噴火したと言われています。

現在も多くの機関によって観測と研究が続けられるなど、世界遺産となった美しい富士山を後世に残していくための様々な努力が、各所で盛んに行われています。

富士山は独立峰ですが、その山体は地理学的に先小御岳、小御岳、古富士、新富士の4段階に分けられます。このページでは富士山を形作った噴火の歴史を解説していきます。

富士山の形成は大きく4つの段階に分けられる。

富士山の原型が形作られた時代~先小御岳火山時代

富士山の原型が出現したのは、今から2~300万年前と言われています。それより前の富士山はまだ海の中でした。海の中だった富士山周辺は、2~300年前にプレートの移動とともに隆起してきました。

太平洋プレートとフィリピンプレート、北アメリカプレート、ユーラシアプレートの4つのプレート境界では地下から膨大なエネルギーが蓄積され地上に噴出します。つまり噴火です。

小御岳火山時代

2~70万年前、現在の富士山の位置に高さ約2,400m前後の「小御岳火山」が形成されました。当時は小御岳火山の南東に位置する愛鷹山の活動も活発で、2つの大きな活火山が並んでいました。現在、この火山の頭部が富士山北斜面5合目(標高2,300m)の小御岳付近に出ています。

古富士火山時代

約10年前、小御岳火山と愛鷹山の活動が停止し、死火山になるとその間に「古富士火山」が誕生しました。古富士火山は爆発的な噴火が特徴で、大量の火山灰や溶岩を噴出し山体崩壊を繰り返し、標高3,000mにも達する大きな山体へと成長しました。この時の火山灰は関東地方にも降り積もり、関東ローム層(赤土)となりました。

約11,000年前、富士山噴火の形態が大きく変わります。その後の約2,000年間は断続的に大量の溶岩を放出させました。富士山の溶岩は玄武岩質で流動性が良く遠くまで流れる傾向があります。この時期に噴火した溶岩は最大40㎞も流れており、南側に流れた溶岩は駿河湾まで到達した記録が残っています。また流れ出た大量の溶岩流はふもとの大きなみずうみをせき止め、富士五湖となったのです。

富士山 形成 ☝溶岩塊(古墳時代~飛鳥時代)。溶岩が縄状に冷えて固まったもの。[出展:ふじさんミュージアム]

新富士火山時代

古富士火山がしばらく休止した後、約4,000年間平穏でしたが約5,000年前から新しい活動時期に突入しました。現在に至るこの火山活動を「新富士火山」と呼んでいます。

現在の富士山を形成する噴火の始まりです。新富士火山の噴火は古富士噴火のそれとは違って、溶岩流を流す噴火です。爆発的な噴火と違い溶岩の流れる噴火は穏やかで危険は少ないと言われています。古富士火山を覆いつくし、約2,200~5,600年前までに現在の秀麗な富士山が形作られました。

富士山噴火の歴史

富士山 形成

・延歴の噴火

歴史上、富士山は3大噴火と呼ばれる大きな噴火があったとされています。その中で延暦の噴火は、最も古いもので、延暦19年~21年(西暦800~802年)、1ヶ月以上の噴火が続いたと記録されています。

・貞観の大噴火

貞観大噴火は、西暦864年~866年(貞観6~8年)に起こった富士山の噴火活動で、記録に残っている限り、最大規模の溶岩噴出を伴う噴火でした。

この貞観大噴火は大量の溶岩を噴出し、富士山北西の裾野まで到達、木々を焼き払い溶岩で覆ってしまいました。このとき流れた溶岩の上にできたのが青木ヶ原樹海です。また、富士五湖を作ったのもこの貞観大噴火です。噴火の前、実は4つしか湖がなかったのですが、その中で最も大きな剗(せ)の海という湖の大部分を溶岩が埋めてしまいました。現在の精進湖と西湖は、剗の海が溶岩流によって分断されつくられました。

・宝永の大噴火

宝永大噴火は、西暦1707年(宝永4年)に起こった富士山噴火で、歴史上、最後の噴火といわれています。

宝永大噴火は、貞観大噴火とはタイプの異なる噴火でした。宝永大噴火の場合、地形を変えてしまうような溶岩の噴出はなかったものの、広範囲での降灰があり、江戸まで火山灰が降っています。噴火による噴煙は、富士山の高さをはるかに超えるおよそ2万メートルにまで達したと考えられています。そのため宝永大噴火は、かなり多くの記録が残されています。

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