みなさん、「日本三大奇祭」と呼ばれるお祭りをご存知ですか?
二本には古くから伝わる祭りはたくさんあります。祭りはその土地の歴史や風習を形にしており、先祖代々受け継がれてきたものです。中でも地域性が強く、独特の風習や伝承があり、その地域以外の方から見れば一見”変わったお祭りだなぁ”と受け取られる場合があります。
そういった祭りのことを「奇祭」と呼んでいます。
今回は静岡県島田の帯祭り、愛知県国府宮のはだか祭りとともに日本三大奇祭の一つに数えられる鎮火祭(吉田の火祭り)をご紹介していきます。
吉田の火祭りは”火を焚いて火を鎮める”天下の三奇祭!

吉田の火祭りは、上吉田の北口本宮冨士浅間神社とその摂社である諏訪神社の祭りで、毎年8月26日、27日に行われます。7月1日の富士山の山開きに対し、夏山登山の終わりを告げる祭りです。
元々は、上吉田村の氏神であった諏訪神社の祭礼であったとされていますが、富士信仰が盛んになるにつれて、浅間神社の社域が拡大して諏訪神社を取り込み、現在は両社の祭りとして伝承されています。正式には鎮火祭といいます。
発祥は明らかではありませんが、鎌倉時代にはすでに盛大に行われており、江戸時代には関東一円を中心に広く信仰を集めた富士講道者で賑わったとされています。
火祭の由来と歴史
火祭りが伝承される富士吉田市上吉田の町は、富士山に登る人たちに宿坊を提供し、信仰の仲立ちをした御師たちが多く住む町でした。1572年、この上吉田の町割を決めたときの記録に、神輿を上吉田の御旅所へ迎える際の道である「御幸路(みゆきみち)」の記載があることから、祭りの始まりはこれより以前と考えられています。
吉田の火祭りの起源には、いくつかの由来が伝わっています。
一つは、諏訪神社の祭神である建御名方神(タケミナカタノカミ)の戦いを、人々が火を焚いて助けたという伝説により火を燃やすというものです。
二つ目は、浅間神社に関連したお話として、木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)が一夜で妊娠したことを夫の彦火瓊瓊杵尊(ヒコホノ二二ギノミコト)に疑われたことから、その身の証を立てるために火の燃え盛る産屋の中で三人の子供を産んだという神話があります。
この故事になぞらえて、火防や安産などのご利益を願って火を焚くのだとも言われています。町中が火の海と化し、深夜を回っても賑わい続けるこの火祭りでは昔から火災を起こしたこがないのは木花開耶姫の護神徳によるものとされています。
火祭りの重要な役目を果たす「勢子と世話人」
火祭りの実施に当たって重要な役目を果たすのが世話人です。上吉田の住人で厄年(42歳)を迎える既婚男性14人が務めます。半年以上も前から祭りの準備に携わり、祭り当日は休む暇もなく活躍します。
神輿の担ぎ手を勢子(せこ)、上吉田の人たちが中心で身近な仲間や職場関係などで構成されています。なお、明神神輿の勢子は世話人経験者と決まっています。
鎮火祭(火祭り)は家庭に不幸があると参加できないってホント?!
火祭りは神聖な祭礼であるため、一切の穢れを取り除いて行われます。上吉田では、家族や近親者が亡くなる不幸を「ブク」といい、穢れているとして身を慎みます。ブクがあると火祭りに参加できないばかりか、松明の火や神輿を見てはならないとまでされているんです。
火祭りの二日間は家の中にこもるか、町の外の親類の家や旅行に出かけます。よそへ出かけることを「テマ(手間)に出る」といい、この習わしは現在でも厳しく守られています。
火祭りに用いられる大小二種類の松明
松明の起源は不明ですが、18世紀前半には諏訪神社の神主家に設営される御旅所の入り口へ2本の松明を立てたことが分かっています。
現在の火祭りの松明は、大小の二種類があります。大きい松明は、松明・結松明・大松明、などと称し、高さが約3m、下部の直径が約1mの円筒形のもので、上吉田コミュニティセンターに設けられた御旅所と表通りに立てられます。かつては御師や富士講によって奉納されていましたが、現在は地元の商店や企業が主な奉納者です。小さな松明は、松明・井桁松明と称し、各家がその門前へアカマツの薪を井桁状にして高さ1.5mほど積み上げます。
8月26日の祭日に合わせて、7月下旬から松明の製作が始められます。以前は松明を立てる表通りの脇や御師家の庭などで作っていましたが、現在では木材流通センターに作業場を借りて製作しています。奉納される松明の本数は毎年違いますが、80~90本です。
火祭りで街中が火の海と化す、二日間のスケジュールを大公開!!
初日の26日には、諏訪神社の神輿(明神神輿)と御山さんあるいは御影と呼ばれる富士山をかたどった神輿(御山神輿)が御旅所まで巡行します。巡行の際には、御山神輿は明神神輿を追い越してはならないとされています。
明神神輿は比較的年配の勢子(担ぎ手)によって大切に、反対に御山神輿は年若い勢子によって荒々しく渡御されます。途中、重さ1トンもの御山神輿を地面に3回落とすという神輿に対して珍しい行為を目にすることがあります。これは祭神の神威の発揚を促し、荒ぶる富士を鎮めるために行われるといいます。
☝明神神輿
☝御山神輿
二つの神輿が御旅所に収められると、通りに大松明が立てられ、世話人によって次々と点火されます。一方、沿道の家々でも井桁松明に火を灯し、富士山の山小屋でも篝火(かがりび)が焚かれ、町と山とが一体となって火祭りとなります。富士講の人たちは御師の宿坊の前で、燃え盛る松明を取り囲んで、「お伝え」と呼ばれる教典を唱えます。
翌日の27日は、御旅所から二つの神輿が諏訪神社の故地とされる御鞍石を経由して神社へ還御し、高天原を巡って祭りは終了となります。では簡単に二日間の火祭りの日程をまとめたのでご覧ください。
吉田の火祭 一日目(雨天決行)
普段は車通りの多い上吉田の富士道。およそ2㎞にもおよぶこの道路一面が火の海と化します。祭り当日ともなれば道の両脇には路面店が勢揃い!
| ・15:00頃~ ・本殿祭 ・場所:浅間神社拝殿 |
火祭りを始めるため、浅間神社の神に神輿に移ってもらう神事を本殿祭と呼びます。これには、氏子総代・世話人・富士講などの人々が100人も出席します。 |
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| ・16:00頃~ ・御動座祭 ・場所:浅間神社・諏訪神社 |
本殿祭の神事後、浅間神社と諏訪神社の神を神輿に移す「御霊移し」の神事を行います。本殿から神を移す際、人の目に触れないように神職が白い布で周りを覆います。これを「絹垣(きぬがき)」とよびます。
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| ・16:55頃~ ・発輿祭 ・場所:浅間神社境内高天原 |
2基の神輿は、諏訪神社の前から出発します。明神神輿を先頭に御山神輿があとに続きます。出発してすぐに諏訪神社の前にある高天原とよばれる広場に止まって、再度出発の神事がおこなわれます。
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| ・17:10~ ・神輿の渡御 ・場所:神社境内~御旅所 |
高天原から大鳥居をくぐり、参道を下って通りに出ます。明神神輿が先頭で、御山神輿が後に続きます。御山神輿は明神神輿を決して追い越してはいけない決まりがあります。
明神神輿は休む時に地面に3回落とす決まりがあり、荒っぽく担がれます。 |
| ・西念寺の出迎え | 神輿は浅間神社の参道を北に下って通りに出ます。西念寺の近くに来ると、西念寺の住職がお経を唱えて神輿を出迎えます。
信者の祭礼に寺院が参加することは現在では珍しいことで、神仏習合の信仰形態の名残ともいえます。
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| ・18:50~ ・着輿祭 ・場所 ・御旅所 |
両神輿は、上宿交差点で休みを取りながらゆっくりと御旅所(上吉田コミュニティーセンター)へと向かいます。
御旅所につくと、火の見櫓に張られた注連縄を明神神輿の屋根に立つ鳳凰のくちばしで切って中に入っていきます。 |
| ・19:00頃~ ・タイマツへ点火 ・場所:御旅所・通り |
神輿が御旅所に着くと世話人が御旅所前の11尺の材タイマツに火を灯します。点火後、世話人は通りのタイマツを立てて、順次火を点けていきます。
また、家々で積まれたタイマツにも火が点けられます。こうして上吉田の表通り沿いを中心に、南北に伸びる火の帯が現れます。 |
| ・19:00~22:30頃 ・神楽奉納 ・場所:御旅所 |
御旅所に神輿が着くと隣に設けられた神楽殿で太々神楽が奉納されます。また、タイマツ火が灯ると富士講がタイマツの前で祈りを唱えます。
タイマツが焼け落ちた消し炭は、火事除けや安産のお守りのご利益があるとされています。 |
吉田の火祭 二日目(雨天決行)
| ・13:45頃~ ・御旅所発輿祭 ・御旅所 |
神輿が御旅所を出発する際に神事を行います。最初に明神神輿が出発して御山神輿が後い続いていきます。休みをとりながら通りを行き来して金鳥居へ向かいます。 |
|---|---|
| ・15:30頃~ ・金鳥居祭 場所:金鳥居 |
神輿が金鳥居に着くと「金鳥居祭」の神事がおこなわれます。明神神輿は金鳥居の前に注連縄で囲って置かれます。御山神輿は明神神輿から少し離れた北側に枯れます。
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| ・15:50頃~ ・神輿の渡御 ・金鳥居~市内 |
金鳥居祭が終わると、神輿は二手に分かれて進んでいきます。明神神輿は金鳥居交差点から東へ進んで引き返し、御山神輿は西へ進み、富士山駅の前を通ります。両神輿は、金鳥居公園前で合流し、浅間神社へと向かいます。 |
| ・18:35~55頃 ・御鞍石祭 ・場所:浅間神社境内高天原 |
神輿は、18:20頃になると上宿交差点から動き出し、「御御鞍石」を目指します。この医師は諏訪の神が祀られていた旧跡で、明神神輿はこの石の上に東側を向いておかれます。 |
| ・19:00頃~ ・上げ松の神事 ・場所:上げ松 |
御鞍石での神事を終えると浅間神社の西側にある「上げ松」の前で祝̪詞が詠まれます。これが終わると太鼓によって合図が送られ、世話人の掛け声とともに神輿は神社へと戻っていきます。 |
| ・19:05頃~ ・ススキ祭り ・場所:高天原 |
先に明神神輿が境内に戻り、その後に御山神輿が合流し、高天原を回ります。両神輿の後には、ススキの玉串を持った参詣者が続き、熱気の渦となって祭りの最高潮を迎えます。ススキ祭りには、女性の参加が多く見られます。
女性は「神輿を担げない代わりに参加する」とも言われ、また安産や子育てのご利益があると言われており近年、27日のみを指して「すすき祭り」と別称することもあります。 |
| ・19:15頃~ ・高天原祭~還幸祭 ・場所:諏訪神社・浅間神社 |
2基の神輿は高天原に置かれます。セコたちが一斉に神輿から離れると社殿の明かりが消され、神輿の周りを布で囲って神輿から御神体を神社に戻す「遷御」がおこなわれます。この神事を終え、御神体が本殿へと還ると鎮火祭両日の結びとなります。 |









