小室浅間神社は市内の中心に位置する由緒深き神社。
富士吉田市に通る国道139号線と137号線の交差点にそびえ立つ、富士山信仰のシンボル・金鳥居。その地点から富士山とは反対に道路を下っていくと小室浅間神社にたどり着きます。
富士山の周りにはたくさんの浅間神社が存在するうえに、どれも似たような名前なので混乱してしまいます。一般的には、北口本宮浅間神社のことを”上浅間”、小室浅間神社を”下浅間”と呼ぶそうです。
長い歴史を感じる商店街が集まる国道139号線、別名「富士みち」。地元の人からは「本町通り」とも呼ばれています。
その名の通り、この通りからは天気がいいと富士山がすっぽり見えるようになっています。
さて、1キロちょっと金鳥居から歩くと小室浅間神社への正面入り口に着きました。後程こちらから中へご案内していきますが、その前に、少し下ったところに車両も通ることが出来る、神社への入り口も併せてご紹介します。
一枚目の信号の交差点を左に曲がると大きな赤い鳥居が立っています。もし車で訪れたら、こちらから駐車場まで行くことが出来ます。
では、先ほどの正面入り口から小室浅間神社をご案内していきます。
本殿まで石畳の道が100mほど続きます。道の両側には桜の木が立ち並び、春には美しい景気になります。
桜並木を過ぎると進行方向に対して横向きに伸びる、不思議な一本道に着きました。はて、ここは…。
写真の左側のシャッター一枚にだけこんな絵が描かれていました。
そう、ここは流鏑馬(やぶさめ)祭りの会場だったのです。
流鏑馬とは、疾走する馬上から的に鏑矢を射る、日本の伝統的な騎射の稽古や儀式のことを言います。馬を馳せながら矢を射ることから「矢馳せ馬」と呼ばれ、いつからか「やぶさめ」と呼ばれるようになったと言われています。
こちらは富士山本宮浅間大社にある流鏑馬像。
富士吉田に根付く伝統芸能であることが分かります。毎年9月に行われるこのお祭りは、およそ800年もの間一度も欠かさず連綿と伝えられてきたと言われています。流鏑馬は富士吉田市無形民俗文化財にも指定されています。
赤色の橋「浅間橋」を渡ると大きな鳥居が現れます。小室浅間神社に到着です。
小室浅間神社は昭和32年に一宮浅間神社に次いで、県下で二番目の別表神社に神社本庁から指定されました。
別表神社とは、神社本庁が総括する神社の中で”由緒”と”規模の大きさ”などから選定されている300余りの神社のことを指します。
ただし、あくまでも神社の「格付け」などではなく、神職の人事に関わる「区別」であり、大雑把に括ると「比較的大きな神社」という認識で問題ないそうだ。
山梨県には6つの別表神社が存在し、笛吹市(一宮)の浅間神社に次いで二番目に建てられました。
この、「愛の守り神 ハートのご神木」と呼ばれているご神木ですが、写真を撮り忘れてしまいました…。
しかし、意外にも恋愛成就のパワースポットの一面を持つ神社でもありました。
「”小室(御室)”とは、そこに神霊が常在するの意」
商店街の道路から一本外れた神社とはいえ、あたりは静かで厳かな雰囲気を醸し出している本殿。辺りもかなり神秘的。
本殿に向かって右手にあるのは、護良親王(もりよししんのう)古墳。
護良親王とは、建武の新政を行った後醍醐天皇の皇子で、大塔宮(だいとうのみや)とも呼ばれます。諸説ありますが、護良親王は若い頃に鎌倉の地で殺害され、その首がここ小室浅間神社に埋葬されたと伝えられています。
そのまま右に進んでいくと、浅間神社の入り口で見た流鏑馬祭りの主役とも言える、「神馬」がいました。
案内によると、小室浅間神社の流鏑馬祭りは武士が武技練磨のため、騎馬で狩衣装を着け、矢で的を射る流鏑馬とは異なり、神事として神社に奉納される行事です。
争いや火事などが起きないように祈願し、馬の走った足跡で占います。全国でもここ、小室浅間神社でしか行われない流鏑馬の形だそうです。
それにしても、神馬のネーミングセンス…。
まとめ
”下浅間”、小室浅間神社はいかがでしたでしょうか。
市内の中心に位置していることもあり、流鏑馬祭りや様々な祭りごとの舞台になります。年間多くの参拝者が訪れるこの由緒正しき小室浅間神社へ、あなたも参拝してみてはいかがでしょう。







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